水戸 “戦後復興の象徴”のアーケード 秋に撤去へ 2025年8月21日 15時02分 戦後80年 80年前の空襲によって焼け野原となった水戸市中心部の商店街で、戦後、復興の象徴として整備されてきたアーケードが、この秋、撤去されその姿を消すことになりました。 水戸市は、終戦間際の昭和20年8月2日アメリカ軍の爆撃機による空襲で市街地のほとんどが焼失し300人以上が犠牲となりました。 戦後、街の再建が進む中で、水戸駅周辺から繁華街の大工町までおよそ2キロの間にあった複数の商店街は、昭和30年ごろから復興の象徴として雨や日ざしを遮るアーケードを歩道に整備し長年、小売店や百貨店の買い物客でにぎわいをみせてきました。 その後もアーケードは新しく更新されてきましたが、街の再開発や買い物客の減少などで徐々に姿を消していき、最後に残った南町3丁目のおよそ240メートルあるアーケードも激しい老朽化などを理由にことし11月までに撤去されることになりました。 長年、このアーケードでかばん店を営む南町3丁目商店街振興組合の竹脇元治理事長(78)は「アーケードには復興の象徴としての意味があった。なくなるのは寂しいが、次の世代にも知っていてもらいたい」と話しています。 水戸市内では、ことし6月に宮下銀座にあったアーケードも撤去されていて、市によりますと、市内のアーケードはこれですべてなくなることになるということです。