拉致被害者 有本さんの姉妹 単独インタビュー“諦めていない”
北朝鮮が日本人の拉致を認めた初めての日朝首脳会談から23年がたつ中、神戸市出身の拉致被害者、有本恵子さんの姉妹が初めて単独インタビューに応じ「恵子は必ず生きている。恵子のことは諦めていない」と強調しました。
また、新潟県で北朝鮮に拉致され2002年の日朝首脳会談のあと、24年ぶりに帰国を果たした蓮池薫さんと、曽我ひとみさんがさいたま市で講演しました。
神戸市出身の有本恵子さんは、42年前の1983年、23歳の時にイギリス留学を終えてヨーロッパを旅行中、北朝鮮に拉致されました。
恵子さんの両親は、娘との再会を願って長い間、懸命に救出活動を続けましたが、2020年に母の嘉代子さんが94歳で、そして、ことし2月に父の明弘さんが96歳で亡くなりました。
明弘さんが亡くなったあと、その遺志を恵子さんのきょうだいが受け継いで救出活動を続けていて、今回、姉の昌子さん(69)と妹の郁子さん(64)が初めて単独インタビューに応じました。
恵子さんとの再会を果たせないまま亡くなった両親について、昌子さんは「恵子に会わせてやりたかった。両親は、恵子を救出するために精いっぱいのことをしたと、最後は気持ちの整理をしていたと思う」と話しました。
明弘さんは生前、「子どもたちに救出活動を引き継ぐつもりはない」と話していましたが、それでも活動を継いだ理由について、昌子さんは「恵子は必ず生きていると思っているので、引き継がないわけにはいかないと思った。拉致問題への関心が薄れてきているとも感じるので、『恵子のことは諦めてない』という意思表示をしたい」と強調しました。
そのうえで「これからはきょうだいで、命が尽きるまで活動を頑張らないといけない。次の総理大臣にはきぜんとした態度で北朝鮮と向き合い、解決に向けて政府全体で本気を出して頑張ってほしい」と訴えました。
妹の郁子さんは恵子さんと連絡が取れなくなる数か月前、留学先のロンドンを訪れ2人で観光地をめぐったり、バーに行ったりしたということで、その様子を収めた写真を見せてくれました。
郁子さんは「これが恵子の最後の写真です。いろんな所に案内してもらいました。『ロンドンでの生活が毎日楽しいから帰りたくない』と話していました」と当時を振り返り、恵子さんに向けて「本当にとにかく元気でいてください。私たちは集会や家族会などに参加して、なるべく問題を風化させないようにします。それぐらいしかできないけど必ず、日本に帰れるように願っています」と語りかけました。
蓮池薫さん 曽我ひとみさんが講演 “拉致被害者の早期帰国を”
23年前の9月に行われた初めての日朝首脳会談で北朝鮮は日本人の拉致を認めその後、5人の被害者が帰国しましたが、今も安否が分からない被害者は政府が認定しているだけでも12人に上っています。
20日は新潟県で北朝鮮に拉致され2002年の日朝首脳会談のあと、24年ぶりに帰国を果たした蓮池薫さんと、曽我ひとみさんがさいたま市で講演しました。
蓮池さんは、政府が認定している安否が分かっていない被害者の親のうち健在なのは、横田めぐみさんの母、早紀江さん(89)1人となったことに触れ、「北朝鮮は政権交代の無い国で、長期的にものをみています。被害者の親の世代がみんないなくなり、日本が静かになってからと北朝鮮が考えているとしたら受け入れてはいけません。『動かすなら今』、『時間が無い』という世論をさらに強く、盛り上げないといけない」と訴えました。
また、曽我さんは、ともに拉致され今も帰国できずにいる母親のミヨシさん(93)について「私にも母にもあった夢や希望を断ち切った拉致という犯罪を生涯許すことはできないでしょう。たとえわずかな時間でもいいので、母を取り戻し、最期の瞬間まで共に過ごしたいです」と話しました。
講演のあと、蓮池さんは「日本政府に当事者意識がどれだけあるのでしょうか。解決のためすべてを尽くしますという話は出ても、具体的にどうするかは出てきません。目に見える形で国民や家族に示してほしい」と話しました。
曽我さんは「ただただ1つの願いは、母に会いたい。被害者が1日でも1分でも1秒でも早く家族のもとに戻ってきてほしいです」と話しました。