67年前の1958年に東京 墨田区の都立病院で別の赤ちゃんと取り違えられた男性の生みの親に関する調査について、東京都が男性と同じ時期に墨田区で生まれた人の現住所を数十人分特定したことがわかりました。都は近く、調査への協力を求める文書を発送することにしています。
1958年に都が運営していた「墨田産院」で生まれた直後、別の赤ちゃんと取り違えられ、血のつながっていない両親に育てられた江蔵智さん(67)が生みの親の調査を求めた裁判の判決で、東京地方裁判所はことし4月、都に対して調査を命じました。
これを受けて都は、墨田区から戸籍情報を提供してもらい、江蔵さんが生まれた1958年4月の1か月間に区に出生届が出された男性113人と、その両親の現住所を調べる作業を進めていました。
都の担当者は18日午後、江蔵さんと面会し、この中で全体の3分の1程度に当たる数十組の親子の現住所をこれまでに特定できたと報告したことが、弁護士への取材でわかりました。
都は近く、対象者に調査への協力を求める文書を送り、取り違えが起きた「墨田産院」で生まれたかどうかを尋ねる予定で、該当する人にはDNA型鑑定への協力を依頼することにしています。
18日の面会で江蔵さんは、対象者への文書に同封してもらう手紙を都の担当者に渡しました。
手紙には出自を知りたいと願う気持ちなどを自筆で記したということです。
江蔵さんは「手紙を受け取った方に、実の両親を知りたいという私の気持ちを理解してもらい、協力していただきたい。それを願うことしかできません」と話していました。
江蔵智さんの半生と経緯

江蔵智さんは1958年4月に「墨田産院」で生まれた直後、別の赤ちゃんと取り違えられ、血のつながっていない両親に育てられました。
子どものころ、親戚の集まりで「顔が全く似ていない」と言われ、自分自身もほかの家族との性格などの違いを感じることもあったといいます。
14歳のとき、父親との不仲などが原因で家を出て、クリーニング店などに住み込みながら働きました。
その後、江蔵さんは家族と連絡を取るようになり、39歳のときに母親の血液型がB型だと知りました。
父親はO型で、自身はA型だったため、血のつながりに疑問を持ちました。

46歳のときにDNA型鑑定をしたところ、検査した医師から「あなたの体にお父さん、お母さんの血は1滴も流れていません」と言われ、江蔵さんは「頭が真っ白になった」といいます。
両親と話し合った結果、別の赤ちゃんと取り違えられたとしか考えられないという結論に達しました。
「墨田産院」はすでに閉院していたため、病院を運営していた都に問い合わせましたが取り合ってもらえず、江蔵さんはこの年、都に賠償を求める訴えを起こしました。
2年後の2006年、東京高等裁判所は取り違えがあったと認め、「重大な過失で人生を狂わせた」として都に賠償を命じました。
こうした裁判の一方で、江蔵さんは「出自を知りたい」との思いから、自身の手で実の親を捜してきました。
当時公開されていた墨田区の住民基本台帳をもとに、生年月日が近い人を80人ほど見つけて訪ね歩きましたが、手がかりは得られませんでした。

墨田区に戸籍に関する情報について情報公開請求をしても、公開された文書のほとんどが「個人情報にあたる」として黒塗りにされました。
取り違えの責任がある都に調査するよう交渉しましたが、応じてもらえなかったため、江蔵さんは2021年、都に対して訴えを起こしました。

ことし4月の判決で東京地方裁判所は「出自を知る権利は個人の尊重などを定めた憲法13条が保障する法的な利益だ」として、戸籍をもとに生みの親について調査するよう都に命じました。
都は控訴せず、判決は確定しました。
江蔵さんの育ての父親は10年前に亡くなりました。

育ての母親は92歳になり、認知症が進んだため老人ホームで暮らしていて、意思の疎通が難しくなっています。
元気なころは「私が産んだ子どもがどうなっているのか、一目でいいから会ってみたい」と話し、実の息子に会えることを待ち望んでいたということです。
江蔵さんは「母親には残された時間がない」として、一刻も早く都の調査が進展するよう願っています。
都の調査とは
ことし4月の判決で東京地方裁判所は生みの親に関する調査の方法を具体的に示しています。
この中では都に対し
▽江蔵さんが生まれた日の前後に墨田区で生まれた人の戸籍情報をもとに本人や両親の現住所を特定して調査への協力を求める文書を送り
▽このうち「墨田産院」で生まれた可能性がある人には、DNA型鑑定への協力を依頼することなどを命じています。
判決を受けて都は墨田区と協議を進め、1958年の4月1日から30日までの間に出生届が出された、230人の氏名や本籍の情報についてことし5月に提供を受けました。

これまでに、このうち113人が男性だと判明し、都は本籍地の自治体から戸籍を取り寄せるなどして、本人と両親の現住所を特定する作業を進めてきました。
江蔵さんの弁護士によりますと、8月18日の時点で、全体の3分の1程度に当たる数十組の親子の現住所を特定できたと、都の担当者から報告を受けたということです。

都は順次、対象者に調査への協力を求める文書を発送することにしています。
また、都が江蔵さん側と協議した結果、この文書には江蔵さんの手紙を同封することになりました。

調査を担当する都立病院支援部の浜崎省吾 調整担当課長は「調査対象者との最初の接触で断られるとその先のステップには行けないので、このタイミングが一番重要だと考えている。相手方にも親や家庭があり、生活があるので、できるだけ心理的な負担がないように心情に配慮した丁寧な対応が必要だ」と話していました。
手紙に込めた思い

判決のあと、江蔵さんは弁護士と相談しながら調査の対象者に送る手紙の準備を進めてきました。
手書きで便箋5枚にまとめた手紙では、取り違えによって狂わされた半生を振り返り、自身が何者であるかを知りたいという切実な思いをつづりました。

(江蔵さん)
「自分のルーツを知りたいと思う気持ちを抑えることはできませんでした。父親や母親にはどのような想いで生んで頂いたのか、自分の本当の名前は何なのか、誕生日は本当はいつ祝えばいいのか、何一つ分からないことに耐え難い思いを抱いて、20年以上にわたり、東京都に対して真実の両親を探してほしいとお願いしてきました」
また江蔵さんは手紙の中で、92歳になる育ての母親への思いを記しました。
(江蔵さん)
「私たち、特に母には残された時間がございません。母は『自分のお腹を痛めて生んだ子が、今どうなっているかを見届けたいし、会いたい』と話していました。私は育ててくれた母親のためにも真実の子を一目でも見せてあげたいとも思っています」
江蔵さんは、手紙を送る相手にも家族や生活があることに配慮し、「医学的に親子関係が分かったとしても、私から相続関係を求めたりする気持ちはありません」と記したうえで、こう結びました。

(江蔵さん)
「私は誰から生まれた何者なのかを知りたいだけなのです。この調査にご協力していただくことを伏してお願いいたします」
江蔵さんはNHKの取材に対し「母も非常に体の具合が悪い状態なので、一日も早くと思っていますが、67年間を数ページの手紙に書くのは難しいと感じています。取り違えられた相手方のこともいろいろと考えてしまいます。この手紙をみて調査に協力していただく人が1人でも多くいればと思っています」と話していました。