福島 山本五十六が真珠湾攻撃の直後に送った手紙 初公開へ | NHK

福島-山本五十六が真珠湾攻撃の直後に送った手紙-初公開へ-|-nhk

福島 山本五十六が真珠湾攻撃の直後に送った手紙 初公開へ

福島県

太平洋戦争の発端となった真珠湾攻撃の直後に、連合艦隊司令長官・山本五十六が福島県会津若松市にある妻の実家に送った手紙が初めて公開されることになりました。手紙の中で「本格的な戦いは今後」などと記していて、福島県立博物館は、戦争序盤の状況を山本が冷静に分析していたことがわかる貴重な資料だとしています。

公開されるのは連合艦隊司令長官だった山本五十六が会津若松市にある妻の実家に送った手紙2通で、保管していた子孫が、今月から福島県立博物館で開かれる終戦80年の企画展に提供しました。

このうち、真珠湾攻撃のおよそ1か月後、昭和17年1月13日に戦艦「長門」の艦上で書かれた1通では、「軍人として引退を前に重任に当たっています」と近況を報告しています。

みずから指揮した真珠湾攻撃については、その成功に日本中が沸いていた時期にもかかわらず、「緒戦は敵国の油断と過失で小さな勝利を得た」とし、「本格的な戦いはもちろん今後」などと記しています。

もう1通は昭和17年4月、戦艦「大和」の艦上で書かれていて、自分の代わりに先祖の墓参りをしてくれたことへのお礼などプライベートな内容で「この戦争が終わった後、もし私が生きていたらぜひ墓参りがしたい」などとつづられています。

山本は、この手紙を書いたおよそ1年後、ソロモン諸島の上空で乗っていた軍用機をアメリカ軍機に撃墜され戦死します。

日本とアメリカの国力の差を熟知していた山本は開戦に反対していたことで知られていますが、博物館は「太平洋戦争序盤に日本がおかれた状況を山本が冷静に分析していたことがわかる貴重な資料だ」と評価しています。

2通の手紙は、今月19日から始まる福島県立博物館の企画展「私たちの戦争体験」で展示されます。

山本五十六と会津若松

山本五十六は明治17年に現在の新潟県長岡市で旧長岡藩士の六男として生まれました。

日露戦争のさなかに海軍兵学校を卒業し、ロシアのバルチック艦隊と戦った日本海海戦に参加しました。

のちにアメリカ駐在武官としてハーバード大学に留学し、昭和初期には海軍代表として欧米との海軍軍縮条約の交渉にあたりました。

昭和14年からは連合艦隊司令長官を務め、真珠湾攻撃などを指揮しましたが昭和18年にソロモン諸島のブーゲンビル島の上空で乗っていた軍用機がアメリカ軍に撃墜され、戦死しました。

山本は福島県会津若松市と深い縁があります。

山本の先祖、長岡藩士の山本帯刀は戊辰戦争に参加して会津藩を支援し、新政府軍に捕らえられたあとも降伏を拒否して処刑されています。

また、山本は大正7年に旧会津藩士の娘・三橋禮子と結婚し、晩年まで三橋家と懇意な間柄が続きました。

今回公開される手紙で山本が述べている「墓参りのお礼」は、会津若松市内にある山本帯刀ら長岡藩士をまつる石碑を三橋家が供養に訪れたことを指しているとみられ、山本五十六と会津若松市の深い関わりを物語っています。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *