
日銀は黒田前総裁のもとで大規模な金融緩和を続けていた10年前、2015年の金融政策決定会合の議事録を公開しました。「2年程度で2%の物価上昇」という政策の目標を期間内に実現できないことが明確になった時期で、その後の政策や目標の打ち出し方をめぐって激しい議論をしていたことがうかがえます。
日銀が今回公開したのは、2015年1月から6月までの金融政策決定会合の議事録です。
日銀はこの2年前の2013年から「2年程度で2%の物価上昇」を目指して大規模な金融緩和を続けていましたが、この時期の物価上昇率は消費の回復の遅れなどから1%未満にとどまり、当初掲げた期間で目標を達成できないことが明確になっていました。
こうした中、2015年4月の会合で中曽宏副総裁は「実現時期が遅れるとしてもその遅れは極力短くすべきであり、そうした政策意図をはっきり伝えていくためには2年程度というベンチマークが必要だ」と述べ、目標にこだわり、達成に向けた強い姿勢を継続して打ち出すべきだと主張したほか、黒田総裁も目標の変更は必要ないという考えを示していました。
ただ、佐藤健裕審議委員は「特定の期限までに特定の物価上昇率に達しなければ政策の信任が低下するリスクもある」と述べ、「2年程度で2%」という目標に強くこだわることへの懸念を示していました。
さらに岩田規久男副総裁が「2%を目指すのは世界の中央銀行としては常識だと思う」と述べたのに対し、木内登英審議委員が「物価の基調は金融政策が決めるものでもマネーが決めるものでもない。海外が2%だから日本も2%でなければならないという訳でもない」と反論し、政策や目標をめぐって激しい議論となっていました。
日銀はその後、マイナス金利政策や長期金利を抑える枠組みなど異例の政策を導入しますが物価は思うように上昇せず、大規模金融緩和は長期化することになりました。