
第2次世界大戦後のヨーロッパで起きた最悪の大量虐殺とされる旧ユーゴスラビアのボスニア・ヘルツェゴビナの事件から30年となり、犠牲になった8000人以上のイスラム系の住民を追悼する式典が現地で開かれました。

旧ユーゴスラビアのボスニア・ヘルツェゴビナでは、民族間の対立が激しい紛争に発展し、30年前の1995年7月、セルビア人武装勢力が東部スレブレニツァを制圧し、避難していたイスラム系の住民8000人以上を殺害しました。
第2次世界大戦後のヨーロッパで起きた最悪の大量虐殺とされ、11日、追悼の式典が現地で開かれました。
この事件をめぐっては、国連が初めて設置した戦争犯罪法廷でセルビア人武装勢力の司令官に終身刑が言い渡されるなどしました。
当時の法廷の近くでも式典が行われ、追悼の記念碑が新たに設置されました。
この法廷がいまのICC=国際刑事裁判所の設立につながったとされ、式典に参加した男性は、ウクライナ侵攻を続け、ICCから逮捕状が出ているロシアのプーチン大統領などを念頭に「平和を守らなかった者たちに圧力をかけ続けなければならない」と訴えていました。
当時を知る元オランダ軍兵士は
スレブレニツァ周辺には、当時、国連の平和維持部隊としてオランダ軍の部隊が駐留していました。
この部隊をめぐっては、オランダの最高裁判所が2019年、「住民の一部を保護しなかった」などとしてオランダ政府にも一部責任があったとする判決を言い渡しています。
オランダ軍の兵士だったレムコ・デ・ブロイナさん(53)は、当時、監視所や軍の基地で任務にあたっていて、スレブレニツァで大量虐殺が起きた前後の様子を鮮明に覚えているといいます。
デ・ブロイナさんはボスニア人武装勢力によって虐殺が行われた施設にいたということで「彼らは、連れてきた人々を庭に集め、脚や腹部を銃で撃ち、サッカーボールのように蹴っていた」と述べ、次々にイスラム系の住民が殺害されたとしてその後、自身はPTSD=心的外傷後ストレス障害になったとしています。
そして「二度と起こさないと言うのは簡単だが、実際に行動に移さなければならない。この事件では有罪判決を受け、刑務所にいまもとどまっている人物もいる。虐殺を犯した場合は、一生、刑務所で過ごすことになるということだ」と述べ戦争犯罪に関わった人物は責任を厳しく追及されるべきだと強調しました。
専門家 「戦争犯罪の責任者追及 諦めてはならない」

旧ユーゴスラビア地域や平和構築が専門の早稲田大学政治経済学術院の久保慶一教授は国連がハーグに設置した戦争犯罪法廷について「今の国連体制になってから、初めて戦争犯罪を裁こうとしたものだった。その旧ユーゴの戦争犯罪の中でも、最も重大なのがスレブレニツァの虐殺だった」と述べました。
この戦争犯罪法廷は、いまのICC=国際刑事裁判所の設立につながったとされ、久保教授は「30年間、国際社会は戦争犯罪に対してずっと『NO』と言い続けてきたがいま、ロシアのプーチン大統領などがICCの逮捕状を意に介さない姿勢を示していることでその成果が揺らいでいる」と指摘しました。
そして当時の法廷について「当初は政治家や軍人は意に介さない姿勢を示していたが、国際社会の強い態度によって、最終的には裁かれた。戦争犯罪に対して『NO』と言い続ける、戦争犯罪の責任者を問う、その姿勢を示し続けることが大事だ」と述べ、ウクライナやパレスチナで起きている戦争犯罪の責任追及を諦めてはならないということを教訓としていまに投げかけていると指摘しました。