
戦争の過酷な体験 兵士たちの「心の傷」 国が調査 展示始まる
先の大戦での過酷な体験によるトラウマなど、兵士たちが負った「心の傷」に焦点を当てた国による初めての調査が進められ、23日から国の史料館で展示が始まりました。

「心の傷を負った兵士」と題された展示が始まったのは、戦傷病者の歴史を伝える国の史料館で、東京 千代田区にある「しょうけい館」です。
国は昨年度から、国としては初めて兵士やその家族の「心の傷」に焦点を当て、患者や研究者の資料のほか、戦傷病者の家族の体験記などの調査を始めました。

展示では、陸軍における先の大戦末期の4年間の戦病者は分かっているだけでもおよそ785万人いて、そのうちおよそ8%にあたる67万人が「精神病・その他の神経症」だったとしています。
また、精神や神経疾患を発症した兵士の治療を中心的に行った国府台陸軍病院の1万人余りの患者の疾患について、現在の統合失調症にあたる「精神分裂病」がおよそ4300人で4割以上を占め、「ヒステリー」がおよそ1200人で1割余りなどと、紹介されています。
さらに、症状の経過を家族がつづった記録には、戦後およそ30年がたっても、仕事ができずに「生活が極度に苦しい」とか世間から「馬鹿にされている」などと書かれています。
今回の調査はカルテが残されている患者など、戦傷病者として確認できるケースが対象ですが、医療機関を受診しなかった人も少なくないとの指摘があり、国は今後の調査についてもさらに検討するとしています。
訪れた70歳の男性は「幼いとき近所に『戦争ぼけ』と言われてからかわれていた人がいたことを思い出しました。戦争が起きれば、こうした長引く被害も生んでしまうことを感じました」と話していました。

しょうけい館の北村明事務局長は「心の傷を負って、長い間、本人や家族は苦しんでいた。多くの人にこうした状況を知ってほしい」と話していました。この展示はことし10月までの予定ですが、来年2月ごろからは規模を拡大して常設で展示する方針だということです。
この展示はことし10月までの予定ですが、来年2月ごろからは規模を拡大して常設で展示する方針だということです。
実態語る約8000人分のカルテ

千葉県東金市にある「浅井病院」には、戦時中に精神疾患などで国府台陸軍病院に収容された兵士、8002人分の「病床日誌」とされるカルテのコピーが残されています。
浅井病院の職員によりますと、国府台陸軍病院で軍医を務めた医師が、終戦後に焼却処分の対象になったカルテをコピーし、みずからが開業した浅井病院で保存したということです。

その記録によりますと、国府台陸軍病院が精神疾患の兵士の治療を始めた昭和13年には収容人数は630人でしたが、その後、増加し、終戦の前年の昭和19年には2倍以上にあたる1489人が収容されていました。
カルテには、兵士たちが精神疾患を発症した原因やその症状の内容が詳しく残されています。

このうち、「精神乖離症」と診断された兵士のカルテには、「部隊長の命で附近の住民を殺せと言われ、自分も7人殺した。銃殺した。その後恐ろしい夢を見、自分が正規兵に捕らわれたり、部落民に捕らわれたり、又殺した良民がうらめしそうに見たりする。頭の具体がどうも悪く不眠となった」、「風呂に入って居ても廊下を歩いていても、皆が叩きかかってきはしないかというような気がする」などと書かれています。
この兵士の診断書には「永久服役に堪えさる者と診断す」と記載されていました。
また、「乖離性反応」と診断された別の兵士のカルテには、日中戦争に参戦し、中国軍からの砲弾が至近距離でさく裂してショックで一時的に失神し、その後、意識が回復しても精神錯乱の発作があり、病院に送られたとされています。

その背景について「絶えず分隊長より殴打され苛められしことが残念で病気になりし」、「苛められたから頭が悪くなった、自分は悪くない、分隊の者が皆悪いのだ」などと兵士が語ったと記されているほか、兵役には耐えられないとの診断が記載されています。
このほか、みずから命を絶った兵士もいたということです。
さらに、戦後20年たって、国府台陸軍病院に入院していた元兵士100人あまりを対象に、別の医師が行った調査では、25%の人にノイローゼの症状やアルコール依存などの症状が残っていたこともわかり、多くの元兵士が戦後も心の傷に悩まされていたことが明らかになっています。

「病床日誌」のコピーを保存している浅井病院の理事長で、日誌を保存した元軍医の孫の浅井禎之さんは「兵士たちがどのような経験をしてどのように悩み、どのように精神疾患を発症していったのか、今までなかなか知られてこなかったと思う。兵士として戦地に行かなければ精神疾患を発症することなく平和に暮らせていたかもしれない。戦争にはそういう側面もあったということを多くの人に知って欲しい」と話していました。
帰還後も心の傷に苦しみ 人生を壊された元兵士も

医療機関を受診していないものの、戦争から帰還後も心の傷に苦しみ、人生そのものを壊された元兵士も数多くいたと見られています。
千葉県茂原市に住む久野一郎さん(69)の父親の義男さんは、旧海軍の兵士でした。

10代で宇都宮市内の商業学校を中退し、志願して旧海軍の衛生兵になり、若いころから責任感が強く、まじめな性格だったといいます。
戦時中は旧海軍の空母に乗り、東南アジアの激戦地に送られて、多くの仲間を亡くしたと親族に話していたということです。
終戦後、20代で帰還しましたが、その後の生活はすさんでいました。
定職に就かず、毎日のように酔いつぶれるまで酒を飲み、母親に対して声を荒らげることもたびたびありました。
アルコール依存症の疑いもありましたが、自身の悩みについては家族を含めて誰にも相談せず、医療機関も受診しなかったということです。
また、「戦後、何もやる気が起きない」と話していたことがあり、父親が書いた履歴書には、採用された病院職員の仕事を1年もたたずに辞め、その後の保安係の仕事も「健康上の都合」ですぐに退職していました。

肝臓の病気になるなど、体調を崩し、履歴書が書かれた3か月後、脳出血で38歳の若さで亡くなりました。
久野さんは責任感が強く、まじめな性格だった父親が戦後に一変した原因は、戦争による心の傷に悩まされていたのではないかと考えています。

久野さんは「戦後、父は周囲から『怠け者』とか『何もしていない』などと言われたこともありました。戦争の前後で性格が変わったことを考えると、あの戦争が父を変えてしまったのではないかと思い、胸が締めつけられるように苦しいです。生前には父のことを理解してあげることができず、今は『わかってあげられなくてごめんね』と伝えたいです」と声を詰まらせながら話していました。
そして、初日にしょうけい館を訪れ、展示を見た久野さんは「『精神病は幸い1名も発生していないことは皇軍の誇りだ』といった軍幹部の発言が、父を追い込んでいったのかもしれない。それを思うと心がつらいです」と話していました。
繰り返される戦争と兵士たちの心の傷の被害
第2次世界大戦のあとも世界各地で戦争が相次ぐ中、兵士たちの心の傷の被害は繰り返されています。
戦争による兵士の心の傷について、注目が集まったひとつのきっかけとなったのがベトナム戦争です。
アメリカで1960年代以降、ベトナム戦争の帰還兵に心の傷による症状が見られ、1988年にアメリカの研究者らが帰還した兵士たちの状況について大規模に調べた報告書をまとめています。
それによりますと、兵士たちのうち、一生のうちにPTSD=心的外傷後ストレス障害を発症する「生涯有病率」が男性の場合30.6%、女性では26.9%に上ったことがわかりました。
また、アメリカのブラウン大学のワトソン研究所が2021年に発表した報告書によりますと、2001年の同時多発テロ事件のあとのいわゆる「対テロ戦争」で、死亡した兵士は7057人だった一方、自殺した現役もしくは退役軍人は推計でおよそ3万人に上ったということです。
報告書ではその背景について
▽戦争によるトラウマやストレスなどの影響や
▽民間生活に復帰することへの困難さ、それに
▽戦争に対する社会の関心の低下による疎外感などを指摘しています。
専門家「現在進行形の問題として考える必要」

浅井病院に残るカルテの分析などを行い、戦争による心の傷の問題に詳しい埼玉大学の細渕富夫名誉教授は「心の傷は身体的な傷と比べ外見ではわかりづらいことや、戦後は精神疾患への差別偏見も強かったため、こうした問題をみずから口に出すのもはばかられていた。心の傷の被害を受けながらも医療機関で治療を受けず、地域で暮らしていた人はたくさんいたと思われる」とした上で「復員後に大きく性格が変化し、家庭内での暴力などにもつながっていたケースもあり、心の傷による被害は本人だけではなく、世代を超えてもたらされた非常に大きな問題だ」と指摘していました。
その上で「海外でも戦争による心の傷は繰り返されており、過去の問題ではなく、現在進行形の問題として考える必要がある。戦後80年がたち、国による調査は遅すぎたと思うが、今からでも家族への詳細な聞き取りなど、さらに調査を行うべきだ」と話していました。