天皇皇后両陛下 あすからモンゴル公式訪問 日本人抑留者を慰霊
天皇皇后両陛下は、国際親善のため6日から8日間の日程でモンゴルを公式訪問されます。滞在中、終戦から80年の節目を前に現地にある慰霊碑を訪ねて、帰国がかなわなかった日本人抑留者の霊を慰められる予定です。
両陛下の外国公式訪問は去年のイギリスに続き即位後4回目、天皇皇后のモンゴル訪問は初めてで、おふたりは6日午前、政府専用機で羽田空港を出発し、午後、モンゴルの首都ウランバートルに到着されます。
そして8日には、国賓として歓迎式典に臨んだあと、政府庁舎の中にある賓客応接用の「ゲル」でフレルスフ大統領夫妻と会見し、夜には宿泊先のホテルで歓迎の晩さん会に臨まれます。
また、この日の午後には、敗戦後旧ソビエトによって抑留されてモンゴルに送られ過酷な労働などのため命を落とした日本人の慰霊碑を訪ねて、犠牲者の霊を慰められます。
滞在中は、モンゴルの歴史や文化に触れ人々と交流するほか、日程の終盤には、弓や競馬などの腕前を競う国民的なスポーツの祭典「ナーダム」の開会式に出席し、競技をご覧になります。
さらに、広大な草原があり希少な馬の保護区になっている国立公園を視察し、13日に帰国される予定です。
皇太子時代の平成19年にもおひとりで公式訪問

天皇陛下は、皇太子時代の平成19年にも、国際親善のためおひとりでモンゴルを公式訪問されています。
この時は、8日間の現地滞在中、首都ウランバートルで歓迎式典や大統領主催の晩さん会に臨んだほか、両国の国交樹立35周年を記念するコンサートでは伝統的な弦楽器「馬頭琴」の楽団とともにステージに上がり、ビオラを演奏されました。
また、郊外にある日本人抑留者の慰霊碑を訪ねて、犠牲者の霊を慰められました。
さらに、革命記念日にあわせて年に1度行われる国民的なスポーツの祭典「ナーダム」の開会式に出席し、モンゴル相撲や競馬を観戦したほか、かつてのモンゴル帝国の都カラコルムを訪ね、草原で遊牧民の伝統的な生活を体験し、馬の乳から作る「馬乳酒」を試すなど、モンゴルの歴史や文化に触れられました。
戦後80年のことし 先の大戦の象徴的な地域を訪問

両陛下は戦後80年のことし、戦没者の慰霊などのため、上皇ご夫妻が平成6年から翌年の「戦後50年」にかけて巡られた先の大戦の象徴的な地域を訪ねられています。
4月には「玉砕の島」の1つ小笠原諸島の硫黄島を、先月は激しい地上戦が行われ20万人以上が犠牲になった沖縄と被爆地・広島を訪問していて、9月には長崎も訪問されます。
今回のモンゴル訪問は国際親善のためのものですが、期間中、天皇陛下は18年前の前回訪問で訪ねた日本人抑留者の慰霊碑を皇后さまとともに訪問して犠牲者の霊を慰める予定で、今月2日の記者会見では「歴史に思いを巡らせつつ、日本人死亡者慰霊碑に供花をし、心ならずも故郷から遠く離れた地で亡くなられた方々を慰霊し、その御苦労に思いを致したいと思います」と述べられていました。
モンゴル抑留の実態は

旧ソビエトによるシベリア抑留の過酷さは広く知られていますが、モンゴル抑留の実態は日本でも現地でもあまり知られていません。
敗戦に伴って、海外に残っていた日本軍の将兵や軍属は連合国の管理のもと復員することになり、旧満州や朝鮮半島北部などソビエト軍の管理地域にいた人たちも帰国だと告げられ移動を命じられました。
しかし、着いた先は日本ではなく、シベリアをはじめとするソビエト領内やモンゴルといった冬はマイナス30度からマイナス40度にもなる酷寒の地でした。
抑留された人たちは、民間人を含めおよそ57万5000人。
抑留者の帰国が終わったのは終戦の11年後の昭和31年で、食料や衣服などが不足する中、不衛生な環境で過酷な労働を強いられた結果、10%近いおよそ5万5000人が命を落としました。
このうち、ソビエトとの相互援助議定書に基づいて終戦直前に対日参戦したモンゴルには、シベリア経由でおよそ1万4000人が移送され、首都ウランバートルの都市建設などに従事させられました。

厚生労働省などによりますと、政府庁舎や国立大学の校舎、オペラ劇場といった建物や道路や広場で使うための石を手作業で切り出すなどの強制労働の果てに、およそ1700人が命を落としたとされています。
モンゴル抑留者はほかの地域より早く終戦後2年余りでほとんどが帰国しましたが、モンゴル側に多数の抑留者を受け入れる態勢が整っていなかったこともあり、死亡率はシベリアなどを上回るおよそ12%にのぼりました。
ウランバートルの郊外には、平成13年に厚生労働省や地元当局などが建立した抑留の犠牲者の慰霊碑があり、翌年には秋篠宮ご夫妻が、そして平成19年には当時皇太子だった天皇陛下が慰霊のため訪ねて、抑留された人たちの辛苦に思いをはせられました。
モンゴル抑留の生還者「天皇皇后両陛下に知ってほしい」

現在107歳で、抑留経験者やその家族などでつくる団体「全国強制抑留者協会」の会長を務めている富山県南砺市の山田秀三さんも、終戦後2年余りにわたってモンゴルなどに抑留されていました。
結婚の半年後に召集されて大陸に渡り、27歳の時に終戦を迎えた山田さんは、多くの日本軍将兵とともにどこに連れて行かれるか知らされないままソビエト領内で列車での移動と強制労働を繰り返したあと、モンゴル軍に引き渡され、徒歩と車で草原や原野を越えて、昭和20年の末に首都ウランバートル郊外の収容所にたどり着きました。
この間、逃亡しようとした少年兵が銃殺されたり、輸送中に仲間が飢えと寒さのため死んでいったりするのを目にしたということで、手記の中で当時のことを「地獄の監獄」とか「この境遇になった者でないと判らない餓鬼の社会」などとつづっています。

抑留後は1度も風呂に入ることができず、不衛生な環境と栄養失調で死者が続出する中で、建築物の基礎を作るためバールで土を掘る作業などに従事させられましたが、地面が凍っていて鉄板のように固かったといいます。
山田さんは「当時のウランバートルは現地の人の食料もないような貧しさで、そこに大量の日本人抑留者が入ったものだからなおさらだ。寒いけど燃料がないので、互いに体をすりあわせて暖め合い、『こんなところにいつまでいないといけないのか』と思っていた。食べ物がない当時のひどい生活や、亡くなった兵隊はかわいそうだったということを、とにかくみなさんに、そして天皇皇后両陛下に知ってほしい」と話していました。
山田さんは、今回両陛下が訪問される現地の慰霊碑をこれまでに2度訪ねたほか、地元に慰霊碑を建てて毎年慰霊祭を行い、毎日お経をあげて仏壇に手を合わせているということです。
首都ウランバートルでは歓迎ムード高まる

天皇皇后両陛下が公式訪問されるのを前にモンゴルの首都ウランバートルでは、中心部の通りに日の丸とモンゴルの国旗が飾られたり、両陛下とモンゴルの大統領夫妻の会見が行われる政府庁舎には巨大な日の丸が掲げられたりするなど、準備が進められ、歓迎のムードが高まっています。
ウランバートルの市民に話を聞くと、52歳の会社経営の男性は「訪問されるのはすばらしいと思います。モンゴルのきれいな空気や自然を堪能していただきたいです」と話していました。
また50歳の公務員の女性は「両陛下について良い印象を持っています。訪問を通してモンゴルと日本の関係はさらに良くなるでしょう」と話していました。
日本の経済援助やアニメなどの影響でモンゴル国内の対日感情は良好とされていて今回の両陛下の8日間の公式訪問は、モンゴルの国民の間で好意的に受け止められています。