毒ガス兵器 旧日本軍製造所の記録見つかる 工員被災の記録も 2025年7月13日 4時52分 厚生労働省 戦時中に毒ガス兵器を生産していた旧日本軍の製造所に関する記録が新たに見つかりました。軍に動員されて作業に当たった工員たちが毒ガスで被災していたことなどが記されていて、調査した研究者は「記録の存在がもっと早く確認されていれば当時働いていた人たちの救済措置が早く始まった可能性がある」と指摘しています。 見つかったのは、旧日本陸軍が戦時中に毒ガス弾などの生産を行っていた福岡県北九州市の「曽根製造所」に関する報告書で、太平洋戦争が始まった1941年度分の記録がまとめられています。 それによりますと▽軍から動員されて作業に当たった「工員」の数は1941年6月時点では305人でしたが、翌年の3月には847人と3倍近くに増えたことが記されています。 また▽製造後の検査に合格した毒ガス兵器の数は、1941年6月までの3か月がおよそ10万発だったのに対し、同じ年の12月までの3か月ではおよそ16万発に増加していて、生産を強化していたことがうかがえます。 一方で▽皮膚をただれさせる「びらん剤」や、くしゃみや吐き気を引き起こす「くしゃみ剤」などが原因で、けがや病気になった工員が複数報告されているほか▽毒ガス弾からガスが噴出したり漏えいしたりする事故が相次いでいたことなどが記録されていました。 戦後、曽根製造所の元工員たちの中には呼吸器疾患などの健康被害を訴える人が多くいましたが、国は製造所に関する公的な記録がほとんど残っておらず事実確認が難しいなどとして、1993年に医療費の負担などを開始するまでおよそ50年にわたって救済の対象としませんでした。 報告書は戦後、厚生労働省が保管し、2018年度に国立公文書館に移管していて、閲覧できるようになったのはおととしからでした。 報告書を発見し内容を分析した明治学院大学国際平和研究所の松野誠也 研究員は「報告書がもっと早く確認されていれば当時働いていた人々の証言を裏付ける物的資料として救済措置が早く始まった可能性がある」と指摘しています。 厚生労働省は「資料の中身を確認できていないためコメントできない」としています。 北九州市「曽根製造所」とは 旧日本陸軍は第1次世界大戦で毒ガスが使用され始めたことをきっかけに、1914年から毒ガスに関する調査研究を開始し、1929年には広島県の大久野島で毒ガスの生産を本格的に始めました。 1937年には、大久野島で生産した毒ガスを砲弾などに充填(じゅうてん)するため、福岡県北九州市に「曽根製造所」を開設します。 およそ5万坪の敷地には、7棟の建物などが配置され、皮膚をただれさせる「イペリット」や、窒息性のある「ホスゲン」などの毒ガスを砲弾や爆弾に詰める作業が行われました。…